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私を監視していたのは彼女だった

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私は常に見張られている。

それを考えると憂鬱になり、気が滅入る。逃げても逃げても追いかけられ、決して逃れることはできないのだ。

 

ある休日、私は朝からだらだらと何もせず、ゴロゴロして過ごしていた。

 

「それでいいの? いいわけないよね? 大切な1日をそんな無為に過ごして! もったいない」

 

それは監視員からの警告だった。見られている! けれど、言っていることは確かに正しい。大切な1日、大切な時間。こうやってだらだら過ごしているだけで、どんどん過ぎていってしまう。勉強……とまではいかなくても、洗濯くらいはしておかないと。重い体を動かし、私は洗濯を始めた。

 

「そう、それでいい。それで? 洗濯機を回している間は? その時間も無駄にしたらもったいない」

 

そうですよね。おっしゃる通りです。その時間は台所の掃除をしよう。こうして私は、有意義であろう1日を送る。

また別な日。今日は仕事がうまくいった。相手も満足してくれていたようだったし。何だか嬉しい。自分にご褒美でも買おうかしら。

 

「あれくらいで満足とか目標低すぎでしょう? これくらいはできて当たり前。今までが酷すぎただけ。もっともっと上には上がいる。そこを目指さなくてどうするの?」

 

ああ、また……。そうです、おっしゃる通りです。あなたがいつも言うことは本当に「正しい」です。そうですよね、こんな出来損ないの私ごときが満足しているといっても、それはとてもレベルの低い話ですよね。失礼致しました。

監視員は仕事を怠らない。本当に真面目で厳しい。いつ寝ているのか? というくらい私を見張っている。

 

だが、私は次第に疲れていった。監視員の要求はどんどんエスカレートしてゆくし、私もそれに応えようと必死だったから。

 

ある時友人に「あなたは自分にとても厳しい人だ」と言われた。それは、私にとっては意外な一言だった。なぜなら、いつも監視員にダメ出しをされ続け、私も自分のことを怠惰でダメな人だと思っていたから。私って厳しいの? こんなに怠惰なのに? ほっておくとすぐ休んだり、さぼったりするのよ。知らないからじゃない? けれど、その後も別な人から「自分に厳しい」ということを言われた。そうなの? 厳しいの? それについて考えていくと、やはり監視員に行きつく。監視員に言われてきたから、私もずっとそうなのだと思っていた。けれど、どうやら私はそんなに怠惰と言う訳でもないらしい、ということがおぼろげながら見えてきたのだ。

 

監視員はいつ頃から私を見張るようになったのだろうか? 監視員の言うことをよく聞いてみると、なんだか母が言っているように思えるときがある。ああ、もしかしたら監視員は私が脳内で作りだした「母のような人」なのではないか? 私が作りだしたのならば、変更することだって可能なのではないのか? 私は監視員を「監視」することにした。すると監視員の言うことにも「穴」が見えるようになり、次第にただ言いなりになるのではなく、自分の意見も返すようになっていった。

 

今までならば、達成できるかどうかわからないような「高い目標」を掲げ、それに向かってただひたすら走っていたところを、達成できるような「低めの目標」にし、それが達成できたら喜ぶ、自分を褒める。そしてまだやりたいのであれば、新たな「目標」を立てるというように変わっていった。

とにかく、今まではハードルがとてつもなく高かった。そこに行きつくまでに息切れしてしまっていた。頑張っても頑張っても、なかなかゴールにはたどり着けない。たどり着けないのは自分の努力が足りないから、そして能力が低いから。そう思っていたし、監視員にもそう言われて……いや、つまりは自分でそう思い込んで、そう自分に言っていただけだったのだ。

監視員は「過去」にしか生きていない。つまり「今まで」の経験上こうなる、それだと失敗するといったことを、私に言ってきているだけだったのだ。

 

「あなたの言うことには「未来」がない」

 

と監視員に言ってみた。監視員は一瞬ぎょっとした顔をしたが「未来は今の積み重ねだから過去に学んで……」というような苦しい言い訳をしていた。そうなのだ。未来は誰にもわからない。もちろん、過去も、現在も大切だ。怠惰に過ごしていいということではない。けれども、自分は今どうしたいのか? と言うことが一番大切なのではないか。と思うようになってきた。だらだらしたいのなら、してもいい。だって未来の責任は自分で負うのだから。

 

私が監視員を作りだしたのは、自分の軸がなくてもよく、何でも監視員のせいにして「私」が言い訳をしたかったからなのだ。監視員からは逃げられないと思っていたが、逃げていたのは私の方だった。自分の責任を自分で負いたくなく、誰か変わってくれる人を作りだしていたのだ。

 

このことに気がついてから、私は疲れなくなった。ゴールのない目標に向かって走らなくてもよく、ダメだしばかりされなくてもよくなったから。

監視員は未だに私の中にいるが、主導権は私にあるのだ。だから監視員の言葉は参考にはしても、必ず従うということはない。自分の目標の高さはいつでも上げ下げ自由なのだ。

 

こうして、監視員の言うことを聞いていなければ、私はどこまでも堕落してダメ人間になってしまう……という思い込みは、本当に思い込みであることが証明された。自分で自分に責任を負うことはとても怖いことのように思っていたが、これも違う。自分で自分に責任を負った方が、実は楽だし楽しいのだ。

 

「でも、私がいないとやっぱりあなたはダメ人間なんじゃないの?」

 

と監視員は言ってくる。だが、私は冷静にこう返答する。

 

「ダメ人間もあなたも、全部ひっくるめて「私」なのよ」