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自由研究でわかったことは「大人は信用ならない」だった

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「こんなの、雑草ばかりじゃないか」

おじさんはがっかりした様子でそう言った。

 

私は夏休みの自由研究をやりたくなかった。けれど、宿題はやらないと怒られる。仕方がないので自由研究は「植物採集」にすることにした。

といっても、そもそもやりたくないのだから、採集するものはその辺に生えている雑草だけ。山に分け入って珍しい植物を採ったり……なんてことは、もちろんしない。そういえば、去年学校で表彰されていた人は、春夏秋冬それぞれで山に分け入り、その時々に生えている植物を採集したと言っていた。そんなこと、やりたくない。興味もないし。雑草だって立派な植物。もしかしたら、この辺にだって実は珍しい植物があるかもしれないし。などと、自分に都合のいいように考えながら植物採集を終えた。

 

採集したのはいいけれど、今度は名前がわからない。図鑑を眺めてみても、わからないものもある。

そんなとき、県立の自然なんとか館というようなところで植物採集した植物の名前を教えてくれるという会があった。夏休みなので、同じように採集したけれど、名前がわからないという子どものために開催されていたのだろう。

 

私は採集し、台紙に張り付けた植物たちをおじさんの前に出した。なんとか館の職員なのかどうかわからないが、そのおじさんは尊大な態度で次々に名前を書いていった。そして冒頭の言葉だ。

 

「こんなの、雑草ばかりじゃないか。もっと他になかったのか」

 

こんな雑草ばかり採集して! やる気ないんだろ? 俺が見るまでもないものばかりじゃないか、というおじさんの心の声が、小学生の私にも聞こえる。

だって、やる気ないんだもん。いいじゃん、なんだって。おじさんは名前を教えてくれればそれでいいんだよ。そんなにバカにしなくてもいいじゃん。植物採集なんだから、植物を採集してきたの! これでも、珍しそうなものをチョイスしてきたんだからね。ああ、早く帰りたい……。と思っていた時だった。

 

「おお! これは珍しい!」

 

と、おじさんはご満悦の表情でじっくりと植物を眺め、名前を記入してゆく。

おお! 私の自分に都合のいい予測通り、うちの近所にも実は珍しい植物が生えていたか! だとしたら、ほら、雑草だって捨てたものじゃないでしょう? 私は少し勝ち誇ったような気持ちになり、どの植物なのかを見た。

 

なんとそれは、うちの庭の家庭菜園にあった「アスパラの茎」だった。

繊細で美しいグリーンの茎。私はこの造形が好きだった。だから植物採集の一つに加えたのだ。なのに、そんなに珍しいの? え? おじさん、それ、アスパラだよ。私ちょっと前にアスパラガス食べたもん。別にそんなに珍しくないはずだけどな。思った通り、おじさんの書いた名前は、やはりアスパラではないものだった。

 

大人も間違えるんだ! しかも、こんな偉い人でも!

 

私は、もはや植物採集のことはどうでもよくなり、そのことに衝撃を受けたのだった。その頃私はまだ小学生。大人の言うことは正しい、ということがインプットされていた。しかも、尊大な態度で来られると、それだけでこちらは委縮してしまい、ああ、この大人の人は偉いのだと素直に思ってしまう、そんな純粋な子どもだったのだ。

 

だが、この事実! 「偉い大人も間違う」この発見は私にとって衝撃的だった。

偉そうなことを言っていても、大人だって間違うんじゃないか。こちらにばかり上からモノを言わないで欲しい。さも自分は正しいという態度で来ないで欲しい。大人って信用ならないんだな。

 

「大人は信用ならない」というのは、このとき強烈に私にインプットされたような気がする。今考えてみれば、もちろん大人だって間違えることがあるし、植物も似たようなものが沢山あるから、そういうことだってあるはずだ。間違って毒きのこを採って、死んでしまうようなことだってあるのだから。けれども、子どもの私にはそれが信じられなかったし、許せなかった。子どもだったから……といえばそれまでなのだが、あんなに衝撃を受けて、今も鮮明に覚えているというのは、きっとおじさんの態度がとても高圧的だったから、ということも関係していると思う。

 

もし、仲良しのおじさんが間違ったことを言っていたとしても、それ間違っているよ、とすぐに言ってしまうだろう。だから、大人は間違うということにもそんなに衝撃を受けなかったと思う。あのなんとか館のおじさんは、明らかに私を下に見て、上からモノを言っていた。だから子どもとはいえ、私は衝撃を受けたのだろう。衝撃というよりも「勝った感」のようなものだと言ってもいいかもしれない。おじさんは高圧的な態度で優位性を保っていたが、間違えたことによって優位性を失ったのだ。それがアスパラだと言うことは、私の方が知っている。正しいことは私の方が知っている。という優位性を、私はあの時ふいに獲得したような気持ちになっていたのかもしれない。

 

しかし、おじさんも、まさか目の前の雑草を採集してきた小学生に、こんな風に思われているだなんて思ってもいなかっただろう。おじさんは、ただ植物の名前を教えただけなのだ。しかも、やりがいのなかったであろう雑草の。そして、少し間違っただけなのだ。そう思うと、おじさんが少し気の毒にも思えてくる。

 

とはいえ、私の、その夏の自由研究での発見は「偉い大人も間違う」であったことは間違いない。