私はいつも ”それ” に気づくのが遅い

私はいつも ”それ” に気づくのが遅い

 

たいていの人は、毎日体調の変化があるはずだ。

快眠、快便、食欲、健康、病気……

人によってバロメーターとなるものは異なるかもしれないけれど、

なんとなく、今日は快適! とか、なんとなく、今日は調子が悪い

といったようなことは誰にでも経験があるのではないだろうか?

 

私も体調に変化を感じている。

元々幼少期から体が弱かったこともあって、こういう変化には敏感な方だと思う。

そして、どこかあきらめている節もある。

私って、体が弱いから仕方がないのよ、なんていう風に。

 

そして、辛くなった時には今までいろいろな人体実験をしてきた。

  • 薬を飲む
  • 針を打つ
  • 整体を受ける
  • マッサージを受ける
  • お灸をする
  • 気功を受ける

などなど。

 

それで、現在の私がしていることは

だいたいこんなところだ。

 

冷えとりは靴下を重ね履きしたり、半身浴をしたり、食べ物に気をつけたり。

 

 

 

気功整体はだいたい月に一度、体のメンテナンスだと思って受けている。

 

そしてそして、リフレクソロジー

これはたまにどうしても体がしんどくなった時にお世話になるのだ。

なぜなら ”即効性” があるから。

もう、耐えられない……つらい、しんどい。

そんなとき、駆け込み寺かのようにお願いする。

 

「助けてください! 私もう限界なんです!」

と、言わないが、きっと体がそう言っているのはバレているはず。

こんなになるまで放っておかないで、もっと早めに……と

思われているだろうし、実際に言われたこともある。

 

そうなのだ!

いつもお世話になった後に、もっとはやく行けばよかった!

こんなにスッキリするなんて、幸せ!

と思っているにも関わらず、なぜかいつもギリギリ。

 

兆候は感じているのだが、人に頼らずに自分でなんとかしたいという思いが強いのだ。

ああ、そうだ。そこだ。

人に頼りたくない、自立していたい。

私のいいところでもあり、悪いところでもある。

なかなか、人に頼れないのだ。頼りたくない。

自立していたいという思いと、私はそんなに弱くないと思いたい気持ち。

 

いったい誰に対してそんなに虚勢を張りたいのだろうか?

 

虚勢を張るというか、多分今でも私の中の小さい私が

母に褒めてもらいたくてそうしている気がする。

子供の頃から言われてきた。

 

「自立して生きなさい」

「頼ってばかりじゃダメ」

 

今考えてみれば、これって母が自分に対して言っていたのではないかと思う。

自分で稼ぎたい、扶養されていたくない、という気持ちがとても強い人だったから。

 

私はどうしたいのだろう?

これを考えるとよくわからなくなる。

専業主婦になりたいかと問われたら、そうでもない気もするし。

バリキャリでガンガン稼ぐのかと言われたら、それも違うような気もするし。

なんだか、人の(母の)言われたことを無心に信じてきてしまい、

ここに来て本当の自分の気持ちが曖昧な気がする。

 

いや、だがしかし、今日もまずはこの限界の体で駆け込まなくては。

そちらが優先だ。

まずは、人にお願いできるようになるところから。

そうやって凝り固まった自分をほぐしていかなければ、本質には到達できない気がする。

 

という訳で、今日はまたリフレクソロジーに駆け込みます。

また今回もギリギリまで我慢してしまい、気づくのが遅かったけれど。