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自由研究でわかったことは「大人は信用ならない」だった

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「こんなの、雑草ばかりじゃないか」

おじさんはがっかりした様子でそう言った。

 

私は夏休みの自由研究をやりたくなかった。けれど、宿題はやらないと怒られる。仕方がないので自由研究は「植物採集」にすることにした。

といっても、そもそもやりたくないのだから、採集するものはその辺に生えている雑草だけ。山に分け入って珍しい植物を採ったり……なんてことは、もちろんしない。そういえば、去年学校で表彰されていた人は、春夏秋冬それぞれで山に分け入り、その時々に生えている植物を採集したと言っていた。そんなこと、やりたくない。興味もないし。雑草だって立派な植物。もしかしたら、この辺にだって実は珍しい植物があるかもしれないし。などと、自分に都合のいいように考えながら植物採集を終えた。

 

採集したのはいいけれど、今度は名前がわからない。図鑑を眺めてみても、わからないものもある。

そんなとき、県立の自然なんとか館というようなところで植物採集した植物の名前を教えてくれるという会があった。夏休みなので、同じように採集したけれど、名前がわからないという子どものために開催されていたのだろう。

 

私は採集し、台紙に張り付けた植物たちをおじさんの前に出した。なんとか館の職員なのかどうかわからないが、そのおじさんは尊大な態度で次々に名前を書いていった。そして冒頭の言葉だ。

 

「こんなの、雑草ばかりじゃないか。もっと他になかったのか」

 

こんな雑草ばかり採集して! やる気ないんだろ? 俺が見るまでもないものばかりじゃないか、というおじさんの心の声が、小学生の私にも聞こえる。

だって、やる気ないんだもん。いいじゃん、なんだって。おじさんは名前を教えてくれればそれでいいんだよ。そんなにバカにしなくてもいいじゃん。植物採集なんだから、植物を採集してきたの! これでも、珍しそうなものをチョイスしてきたんだからね。ああ、早く帰りたい……。と思っていた時だった。

 

「おお! これは珍しい!」

 

と、おじさんはご満悦の表情でじっくりと植物を眺め、名前を記入してゆく。

おお! 私の自分に都合のいい予測通り、うちの近所にも実は珍しい植物が生えていたか! だとしたら、ほら、雑草だって捨てたものじゃないでしょう? 私は少し勝ち誇ったような気持ちになり、どの植物なのかを見た。

 

なんとそれは、うちの庭の家庭菜園にあった「アスパラの茎」だった。

繊細で美しいグリーンの茎。私はこの造形が好きだった。だから植物採集の一つに加えたのだ。なのに、そんなに珍しいの? え? おじさん、それ、アスパラだよ。私ちょっと前にアスパラガス食べたもん。別にそんなに珍しくないはずだけどな。思った通り、おじさんの書いた名前は、やはりアスパラではないものだった。

 

大人も間違えるんだ! しかも、こんな偉い人でも!

 

私は、もはや植物採集のことはどうでもよくなり、そのことに衝撃を受けたのだった。その頃私はまだ小学生。大人の言うことは正しい、ということがインプットされていた。しかも、尊大な態度で来られると、それだけでこちらは委縮してしまい、ああ、この大人の人は偉いのだと素直に思ってしまう、そんな純粋な子どもだったのだ。

 

だが、この事実! 「偉い大人も間違う」この発見は私にとって衝撃的だった。

偉そうなことを言っていても、大人だって間違うんじゃないか。こちらにばかり上からモノを言わないで欲しい。さも自分は正しいという態度で来ないで欲しい。大人って信用ならないんだな。

 

「大人は信用ならない」というのは、このとき強烈に私にインプットされたような気がする。今考えてみれば、もちろん大人だって間違えることがあるし、植物も似たようなものが沢山あるから、そういうことだってあるはずだ。間違って毒きのこを採って、死んでしまうようなことだってあるのだから。けれども、子どもの私にはそれが信じられなかったし、許せなかった。子どもだったから……といえばそれまでなのだが、あんなに衝撃を受けて、今も鮮明に覚えているというのは、きっとおじさんの態度がとても高圧的だったから、ということも関係していると思う。

 

もし、仲良しのおじさんが間違ったことを言っていたとしても、それ間違っているよ、とすぐに言ってしまうだろう。だから、大人は間違うということにもそんなに衝撃を受けなかったと思う。あのなんとか館のおじさんは、明らかに私を下に見て、上からモノを言っていた。だから子どもとはいえ、私は衝撃を受けたのだろう。衝撃というよりも「勝った感」のようなものだと言ってもいいかもしれない。おじさんは高圧的な態度で優位性を保っていたが、間違えたことによって優位性を失ったのだ。それがアスパラだと言うことは、私の方が知っている。正しいことは私の方が知っている。という優位性を、私はあの時ふいに獲得したような気持ちになっていたのかもしれない。

 

しかし、おじさんも、まさか目の前の雑草を採集してきた小学生に、こんな風に思われているだなんて思ってもいなかっただろう。おじさんは、ただ植物の名前を教えただけなのだ。しかも、やりがいのなかったであろう雑草の。そして、少し間違っただけなのだ。そう思うと、おじさんが少し気の毒にも思えてくる。

 

とはいえ、私の、その夏の自由研究での発見は「偉い大人も間違う」であったことは間違いない。

私は高校生のとき、男性教諭の恋愛相談に乗っていました

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私は高校生の時、男の先生の恋愛相談に乗っていた。

今考えると、異様なことのようにも思えるのだが、その当時はそんなにおかしなことだとも思わず、むしろ、私のような小娘でいいんですか? 恐縮です。くらいにしか考えていなかった。

 

その年の夏休み、先生はペルーを旅行していた。詳しい旅程はわからないが、あの天空遺跡、マチュピチュを見に行ったようだった。

 

その頃先生は30代半ば、独身貴族の公務員で夏休みも沢山ある。実家に住んでいたから、自由になるお金も結構あったのではないかと思う。よく海外旅行に行き、私達はその話を聞かせてもらっていた。

私達というのは部活の仲間たちのことで、先生は部活の顧問だったのだ。先生が顧問になったとき、私たちはとても嬉しかった。なぜなら、それまでは七三分けが似合うカタブツの教師が顧問だったから。

先生は30代半ばで、高校生から見れば立派なオジサンだったが、ノリもよく、話ができる先生の一人だったのだ。

 

部活というのは放送部。地味な文化部ではあるが、コンテストで全国大会へ行ったりするなど、活躍もしていた。

放送室の隣には視聴覚室があったのだが、その視聴覚室には視聴覚準備室という部屋があり、その準備室が先生の部屋だった。実はこの準備室と放送室はドア一枚でつながっており、自由に行き来することが可能だった。そして、先生は顧問。そんなことから私達は先生と仲良くなっていったのだった。

 

「こんな手紙がきたのだけど、どう思う?」

 

それは、旅行先のペルーで知り合ったという、同じように旅行に来ていた日本人女性から来た手紙だということだった。そこには、あなたとガイコツになるまで一緒にいたい……というようなことが書いてあった。相手の女性もきっと妙齢だったのだろう、先生とその夏どんな関係になり、どんな会話をしたのかはわからないが、お互いに旅行後何度か手紙のやり取りをし、二人とも結婚を意識していたのではないかと思われる内容だった。だが、明らかにこの女性の方が焦っている……。先生はこの女性のあまりの押しの強さに、少し引いてしまっている様子だった。

 

「先生がノリ気じゃないのなら、ちゃんと断った方がいいんじゃないの?」

 

と、私はまっとうな答えを返した。しかし、恋愛経験もほとんどない女子高生が、よくこんな相談に乗ったものだと思う。

それからしばらく、先生は手紙のやり取りをしたり、女性と会ったりしていたが、結局は別れたようだった。

 

先生は女生徒にも比較的人気があり、バレンタインになると、女生徒手作りのケーキなどが準備室に運ばれて来ていた。しかし、それらは実は私達のお腹に入ってゆくのだった。

 

「このケーキ、6組の○○さんが作ったんだって! まさか、彼女も私達が食べてるとは思わないよね? 先生、あいまいな態度はよくないよ! このケーキも、彼女は先生が食べてくれると思ってるんだからね!」

 

しかし、先生もよくこんな「箸が転んでもおかしい17歳」の私達に恋愛相談をしたり、ケーキをくれたりしたものだと思う。女子高生と言えば、こんなことがあれば格好のネタとなり、あっという間に校内に広まってもおかしくないと言うのに。

けれども、先生の読みは正しかった。私達は部活内でそういう話をすることはあっても、決して外には漏らさなかったのだから。いや、あまりにも生々しすぎて漏らせなかったと言うべきか。私達は職員室内の人間関係や個人情報をあまりにも知りすぎていたから。

 

先生はあの頃、どんな気持ちで私達と話をしていたのだろうか?

少なくとも私達は、少し年上の友達のような感覚だったと思う。それぞれが進学のことを相談してみたりしたこともあったし、好きなミュージシャンのカセットテープを借りたこともあった。

 

私の高校に来る前に赴任していた学校の生徒に、先生のことを聞いたことがある。

それは、私の知っている先生ではなかった。いつも竹刀を持ち歩き、怒鳴り、恐怖で生徒を押さえつける……そんな先生だったようだ。あまりの違いに、その当時は先生にそのことについて聞くことは憚られてしまい、結局聞けずじまいだった。

 

先生も自分の教師像にいろいろと悩み、試行錯誤していたのだろう。他の職員との人間関係上の問題もあったかもしれない。そんな中、先生と私達は年齢も性別も違うのだが「仲間」だった。放送部の一員。仲間だからこそ、大人の生々しい話も、自分の恋愛の話もできたのではないだろうか。言葉にこそしなかったが、私達もそんな暗黙の了解があったからこそ、格好のネタも校内でバラすようなことはしなかったのではないかと思う。

 

普通に考えてみれば、気持ちが悪いことこの上ない。30半ばの男が女子高生に恋愛相談をするなんて。私も人の話として聞いていたら、確実に「気持ち悪い」と言ってしまうだろう。しかし、そこにはそんな気持ち悪さはみじんもなかった。感性鋭い女子高生だったのだから、恋愛経験があまりないとはいえ、何かしらの下心があればきっとわかったはずだ。しかし、私達の中にはさわやかな青春の1ページとして残っているだけだ。

 

今や私もあの時の先生の年齢を超えてしまった。先生はもう還暦を過ぎていることだろう。

中年女性と還暦過ぎの男性。世間的には不倫カップルだと思われてしまいそうな組み合わせだ。しかし、今再会したとしても「仲間」として話ができるのではないかという気がしている。

輪廻転生の案内人

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「ここが死のゾーン」

「それで、あっちが生のゾーン、そして向こうが老いてゆくゾーンね」

 

今、私は輪廻転生の現場に来ている。こんなに間近で現場をみることができるなんて知らなかった。

まず私が案内されたのは、死のゾーン。ええ?! そんなゾーン案内しなくてもいいのに。「死」なんてできれば避けたい。だって、なんかおどろおどろしいイメージがあるし。おばけが出ちゃったら嫌だし。なんて思ってついて行ったのだが、その現場はイメージとは違いなんだかいい雰囲気だった。明るく、土のいい香りがしてくる。土ってこんなに香ばしくていい匂いだったっけ?

 

「この土、何だかいい香りがするね。心なしか温かいような気もするし」

「そうなんだよ!! いい香りだろ? こっちは土の中の微生物が活発に活動しているんだ! ちょうど今、土の中で分解中だから。だから温かい。こんなの無理だろって思うようなやつもきれいになくなるんだよ!」

 

え?! この人、ニコニコしながら語っているが……分解ということは……おそらく亡骸を分解ってことだ。

そう思ったらやっぱり土から手を離してしまう。よく土に還ると言うけど、いま私はその現場に居合わせているということ。頭では理解できても、目の前で起こっていると思うとなんだか複雑な気持ちだ。

 

「じゃあ、今度は生のゾーンね、こっち」

 

よかった。死のゾーンはもう終わり。生のゾーンからはその名の通り、瑞々しいエネルギーが溢れてくるのがわかる。お肌もプリプリ。ハリもあってぴーんと伸びてシワもない。つい、「若いってこういうことよね。羨ましい!」と口から出てしまう。辛いことがあっても、負けないように一生懸命頑張るその姿には感動を覚える。

だけど、何だかそういう若い勢いが感じられない一画があった。

 

「あそこは何?」

「ああ、あそこは途中までは元気だったんだけど……。急に元気がなくなって亡くなってしまったんだ。成長を楽しみにしていたのに。何がいけなかったんだろう」

 

と言った顔が曇っている。そして、急に元気もなくしている。そ、そんなにショックを受けていたのか? どんなところにもこういうことはあるのだな。けれども、その横で今日もまた命は生まれる。なるほど、これが輪廻転生というものなのか。

 

「じゃあ、あっちは?」

「ああ、あっちは老いてゆくゾーンね」

 

ん? 老いてゆくゾーン? ああ、干からびてゆくってことね。どんどんシワシワに。でも、凝縮されてゆくこのゾーン。

 

それで、私は今どこにいるかと言うと、うちのベランダにいる。そして、案内人は夫。

 

もっと若かりし頃、ベランダで土いじりをしていたのは私だった。チューリップの球根を植えてみたり、観葉植物を育ててみたり。そうそう、トマトを育てて、あと一日おいてから収穫だ! と思っていたら、鳥にやられて落ち込んでみたりしていたなぁ。でもあの頃、夫は全く興味を持っていなかった。またなんかやってる。ふ~ん、と遠くからベランダを眺めていただけだ。それなのに、いつからだろうか、この関係はいまや完全にひっくり返ってしまっている。今、私は育った植物を「ふ~ん」と眺めているだけだ。

 

まず、夫は土づくりから始める。

これが始まってから、ウチから生ごみが消えた。すべて土に埋めてしまうから。いまやウチでは生ごみではなく「宝」と呼ばれている。

外食に行くと、私たち夫婦は帰り際にそわそわし始める。店員や周りの人たちに気づかれないように、そっと「宝」をビニール袋に入れて持ち帰るためだ。

 

「あ、ちょっと待って! 今はだめ」

「あ、いまいま、はやく!!」

 

と言いながら、二人のチームワークで「お宝」をゲットするのだ。だが、きっとお店では怪しい夫婦だと見られているに違いない。だって、食べ終えたお皿は毎回どれも綺麗すぎるから。どんな皮も骨も残さず美しく。

 

お宝をゲットしたら、夫の言う「死のゾーン」に埋められてゆく。言葉通り、土に還してゆくのだ。すると、本当にしばらくするといい香りの土ができあがるのである。その後、その土に種をまき、新しい命が生まれてくることになる。これが「生のゾーン」

けれど、どうしても相性の悪い植物もあるようで、途中まで勢いよく育っていたと思ったら、急に元気がなくなって枯れてゆくものもある。そんなとき、信じられないくらい夫は落ち込んでいたりする。私は仕方ないじゃん、と思うのだが、夫は愛情をかけている分、悲しい気分になるのだろう。こんなとき、夫の愛情の深さを垣間見た気がして、いつも玄関で靴を並べないことは愛に免じて許そうという気になったりもする。

 

では、老いのゾーンとは何かと言うと、野菜を乾燥させているのだ。

 

それまで、私は買いすぎたり、使わなかったりして、ちょくちょく野菜を冷蔵庫で腐らせていた。

すると、そういうものを発見した時の夫は烈火のごとく怒り出すのだ。

 

「これはいのちなんだよ! わかってるのか!」

 

それはもう凄い剣幕で、ド正論で迫ってくるものだから、私はぐうの音も出ない。お、おっしゃる通りです。ええ、ええ、それはもう、何も言えませんから。その後しばらくは、夫が恐ろしすぎて買い物するのに躊躇したほどだ。

けれども、私にしてみれば、じゃあ、もうあなたが買い物をして、あなたがご飯を作って下さいよ。そしたら、「いのち」は全く無駄にならないのでしょうから、とも思っていた。

 

そうしたら、夫はそれを察したかのように一夜干しネットを買ってきた。私の「野菜腐らせ癖」は言っても治らないと思ったようだった。それからは、危なそうな野菜を発見すると「あれ、干すから」と言って、その野菜は干し網行きとなるのである。干された野菜は、夫がランチのスープとして持ってゆく。何でも味が凝縮されていて美味しいのだそうだ。スープは、トムヤムクン味、しょうゆ味、鶏ガラスープ味などバリエーションがあるらしく、その日の気分によって味を変えているもよう。そう、野菜を干すようになってから、夫は自分で自分のスープをつくるようになったのだ。

 

夫はコツコツ型の農耕民族、それに対して私は短時間集中型の狩猟民族。ようやくこの頃、お互いの違いを認め、お互いの得意部分を伸ばす方向で互いに合意ができてきたようだ。私にコツコツ型は向かない。できない。これを認めようではないか。目下の目標は夫に「糠漬け」をやってもらうことだ。こんなコツコツ、私には到底無理だから。

 

そんな我が家の毎日。

今日も、朝から愛する植物たちに水やりをする夫の背中を見ながら「ふ~ん」とそれを眺める私なのであった。

まず確認なのですが、あなたと私は知り合いじゃないですよね?

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「ちょ、ちょっと待って! あなたと、私は、知り合いじゃないですよね?」

きっとあの時、私の頭の上には「はてなマーク」が沢山出ていたに違いない。

 

私は、一歩外に出れば80%以上の確率で知り合いに会うような、そんな田舎町に住んでいた。近所の人は、家族構成、家族の職業や子どもの学年、ときには昨日の夫婦喧嘩の理由まで知っている……そんな町だった。地域のコミュニティが発達している、なんていう言葉で表せば素敵に聞こえるかもしれないが、私にとってその当時、それは「監視」以外のなにものでもなかった。

夜は9時にもなれば、もうどの店も開いていない。人もほとんど歩いていない。まるで真夜中のように静まり返っていた。うちの前にある大きな池にはカッパが住んでいるという伝説があったのだが、夜、カッパが歩いていても違和感はなかったと思う。

「こんな町、早く出ていきたい! 隣の人さえもわからない都会の方がずっとマシ!」そう、思っていた。思えば、私は小学生の時から家を出ると決めていた。大学に行って、家を出る。大学に行けるかどうかもわからなかったのに。けれども、初心貫徹! 私はめでたく大学に合格したのだ。大学に合格した嬉しさもあったが、何よりもこの町を離れられる! という開放感でいっぱいだった。

 

「いい天気やなぁ! でも明日は雨降るねんて。信じられへんよなぁ」

え? 身体が硬直した。これは、ひとりごとなのか? いや、でも私の方を向いて言っている。この人と前に会ったことがあっただろうか? いや、ない……はず……。知り合いじゃないですよね? 私たち。なのに、私にお話しされているのですよね? あなたは。え? え? ということは、きちんと会話をお返ししなくてはいけないから……えっと、えっと……

「そ、そうですね。し、信じられませんね。」

引きつった顔でなんとかそう答えていた。そして、これだけのことなのに、私はどっと疲れていた。え? 今の何? 大阪には不思議な人がいるものだなぁ、さすが都会だけのことはあるなぁ、と思っていた。

 

動物園に行ってみた日のこと。その時私は「キンシコウ」という猿の檻の前にいた。孫悟空のモデルとも言われる金色の毛が特徴の猿である。

「金色とか言うけど、金色ちゃうやんな。あんた、あれ金色に見えるか?」

え? また不意打ち。私の身体は硬直し、頭の中はフル回転でこのおじさんの対応について考え中。

ちょっと、待って! まず、確認なのですが、あなたと、私は、知り合いじゃないですよね? それなのに、その近しい間柄のような会話は何ですか? 問題は、金色に見えるとか見えないとか、そういうことじゃないんです。どうしてあなたは私にそんなことを話してくるのですか? 何かの勧誘ですか? ナンパですか? 会話ってちゃんとしなくちゃいけないじゃないですか。だから、こちらもきちんと考えないといけないじゃないですか。えっと、だから……

「そ、そう言われれば、た、確かに金色というよりも、ちゃ、茶色かもしれないですよね……」

はぁ。今日もどっと疲れてしまった。

 

動物園に行く頃には、大阪には不思議な人がいるというレベルの話ではなく、どうやら大阪、そして関西というところには「知らない人に気安く声をかける」という文化があるらしいということに気付き始めていた。しかし、そもそも人見知りで、知り合いばかりの町で育ってきた私にとって、この状況にはなかなか慣れるものではなかった。それに、子どもの時から言われ続けてきたではないか! 知らない人と話しちゃいけません、ついて行ってはいけません、て。知らない人が話しかけてくるというのは、何か黒い目的があるはず! ああ、こわいこわい。私は常に、話しかけないでオーラを出していたのだが、それでも話しかける人はいて、その度に緊張してしまい身体をこわばらせていた。

 

私が緊張していた理由は、今思えば会話というものについての真面目すぎる思いこみだった。

「会話というものは、相手の言うことをきちんと聞いて、自分の中で咀嚼をして理解した上で、それ相応の回答を返す」という作業であると思っていたのだ。もちろん、今でもこれが間違いであるということではないし、そういう側面もあると思う。しかし、だ。ただちょっと話しかけたことに対して、いちいちこんなに重いことを考えられて、重厚な回答を返されたら相手も困るではないか。まぁ、そうは言っても私は重厚な答えを返せたことなどなかったのだけれど。

 

ある時、友人に相談してみたところ、

「そんなん、向こうも適当に話してるだけやから、こっちも適当に返したらいいねん」

と言うではないか。私にとって、この言葉は衝撃だった! ええっ?! 適当に話していたの? 適当に返すってなに? 適当な会話がわからなかったのだ! 今思えば、なんて世間知らずだったのだろうか。真面目すぎる若かりし自分に苦笑してしまう。まぁでもとにかく、片田舎から出てきて、まじめの、素朴さのかたまりだった私には、適当イコールいいかげん、ちゃらんぽらん、不誠実以外のなにものでもなかった。そんなこと人として許されないのではないか? そんな風にさえ思っていた。

 

そんな私も、年を追うごとに関西に慣れてゆき、知らない人から話しかけられても「適当に」返せるようになった。適当は決してマイナスな言葉ではなく、ちょうどいいという意味だったのだ。軽い会話には軽い返事を、重い話には重い態度で重い言葉を。臨機応変に対応するということを教えてもらった。あんなに人見知りだった私が、今度は知らない人に話しかけることができるようになっていた。

「おっちゃん、それ、なに飲んでんの?」

「熱燗やで。ちょっとあげよか?」

そんな会話で、隣に座った知らないおじさんからお酒をもらう私を、同郷の友人は目を丸くして見ていた。

 

知らない土地に住むのはおもしろい。そして徐々になじんでゆく自分を感じることもとても楽しい。

あの頃のまじめで素朴だった私、そんな私にちょうどよい適当さを教え、おまけに笑いまでつけてくれた大阪。いろいろなモノを包み込んでしまうあの器の広さが、私の心を少しずつオープンマインドにしてくれたのかもしれないなと思う。

 

その後、東京に引っ越しをしてきて1週間くらいたった頃、ある違和感を感じた。なんだろうと考えてみたらその正体がわかった。

「私、最近知らない人と会話してない……」

あなたは強すぎたのです! 早すぎたのです!

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拝啓

暑さが日ごとに加わってまいります。お元気でお過ごしでしょうか。

 

あなたとお会いしなくなってもう5年ほど、いやもっとになるでしょうか。以前はあんなに頻繁に会っていたのに、今では会うことがなく、あの頃が懐かしく思えます。

あなたはよく私を頼ってくれました。あれはあなたが中学生くらいの時でしたでしょうか。私はお母様に紹介されてあなたに会った日のことを覚えています。あなたはまだ生意気な盛りでしたね。そんなあなたの力になれることが私の楽しみでもありました。

 

あれから高校、大学を経て社会人になってゆくあなたをそばで見続けられたこと、とても嬉しく思っています。

あなたはこの時もしばしば私を必要としてくれましたね。その度に、私は全力であなたをサポートしようとしてきました。けれども、いつしかあなたは私を少しずつ遠ざけるようになっていきました。あなたは私に気づかれないようにしていたのかもしれませんが、私は気づいていました。あんなに私のことを頼りにしてくれていたのに、時折、他の人を頼ったりしていましたよね。私はあなたの幸せを願っているとはいえ、複雑な気持ちでいました。それでも時折、私を必要としてくれていましたので、私はこれもあなたの成長なのだなと考えていました。

 

「あなたとはもう会わない」

 

とあなたが宣言された時のことは今でも忘れられません。私は青天の霹靂といった感じで驚きのあまり何も言えませんでした。何が起きたのかよくわかりませんでした。けれども、あなたはそう言っているだけで本当に困った時には私を必要としてくるだろうと高をくくっていたのです。しかし、このときばかりはあなたも本気だったようですね。まさか、あれから会うことがなくなるなんて思ってもみませんでした。

 

その後あなたは別の方と意気投合され、その方を頼りにされていると風の噂で聞きました。なんでもその方は私とは違い、穏やかな方とか。私はあなたの求めに応じて、とにかく早く、スマートに対応することがあなたのためなのだと信じてやってきていました。ですから、別の方にお願いしていることがわかったときには、きっと私よりもっと優秀な方がみつかったのだろうと思っていました。それがまさか正反対の方を選ばれるなんて! 私には理解ができませんでした。私ならあなたのことをすぐに助けられるのに、どうしてよりによってそんなゆるい対応をする方を選ぶのか? 今でも本当の意味で理解はできていません。その間にも私はどんどん進化しているというのに。

 

私はあなたのことを尊重しようと、あれから何も言わずあなたの前から姿を消しました。けれども、どうしてそうなったのか、やはりどうしても知りたくなり、今頃お手紙を差し上げました。

もしできるようでしたら、お返事を頂けると幸いです。末筆ながら、ご自愛のほどお祈り申し上げます。

敬具

 

 

拝啓

厚さ厳しい折、そちらもお元気でお過ごしでしょうか。

 

お手紙拝見させて頂きました。結論から言いますと、あなたは強すぎたのです。あなたに別れを告げる頃には、あなたの限界を感じていました。強すぎる、早すぎるがゆえの限界だったのです。

 

あなたは体面をとても気にされているように思いました。いかに早く表面を取り繕うのか。私も最初はそれが、それこそが素晴らしいことなのだと思っていました。けれども、そうしていくと表面ばかりで根本の問題が解決していないということに気づいてしまったのです。根本が解決しないので、私はあなたに依存するようになっていきました。何かあればあなたに頼ればすぐに解決してくれる! なんて素敵な方なのだろう! と。けれども、何事も依存関係はやはり不自然なことなのです。最後の方はあなたなしでは安心して暮らしていくこともできなくなっていました。

 

こんな関係はやはりおかしい! と思い、私なりに色々調べてみました。すると、あなた以外にも私の問題を解決してくれる方が沢山いるということがわかりました。私は自ら会いに行ったり、来ていただいたりして、私と相性の良い方を探しました。そこで出会ったのがあなたの言う穏やかな方でした。

 

その方によれば、私の不調はどうやら「冷え」からもたらされている部分が大きいようでした。あなたと別れてから、私は靴下を何枚も履き、半身浴をして、下半身を徹底的に温めはじめました。「冷えとり健康法」というものだそうです。これをはじめてからというもの、あなたのように即効性はありませんでしたが、身体も心も変化していくことを感じています。穏やかですが、自然に、そして何よりも根本から変わっていく自分を感じています。

 

消炎鎮痛剤さま、あなたには長きにわたり大変お世話になりました。あんなにつらかった頭痛、ときにはのたうちまわるほどの痛みをいつだって早急に解決して頂きました。どんなに助けて頂いたことか。本当にあなたには感謝しております。

ですが、途中からお互いの考え方が変わってきてしまったのです。決してあなたのことを否定しているのではありません。このことをご理解頂けると嬉しく思います。

 

あなたを必要としている方は私の他にも沢山いらっしゃると思います。今度はその方達のために、お力になって差し上げて下さい。あなたの一層のご活躍を祈念いたしております。

                                       敬具

あなたの意に沿わないかもしれないけれど

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私は「ありがとう」が言えない。正確にいうと言えなかった。

 

私は落し物を拾ってくれた人がいれば「ありがとうございます」と言うし、友達と会って楽しい時間を過ごしたあとには「今日は会えて嬉しかった! ありがとう!」と言ったりもする。一日に何度も「ありがとう」という言葉を発し、つかっている。だから「ありがとう」の五文字が発音できないという訳ではないのだ。なのに、アノ人だけには言えなかった。

 

ある時、言った方がいいよと勧める人がいた。けれども、私はアノ人が嫌いで恨みの気持ちすら持っていたのでそれは無理だと言った。すると、勧めてきた人は「面と向かってではなくてもいいから」と言うではないか。それならば簡単だ! と思った私はその日の夜にお風呂に浸かりながら言ってみることにした。

「○○さん、あり……」

あれ? 言えない。カラダが言うことを拒否している。いやいや、ここにアノ人はいないから。妄想だから。言ってみるくらいできるから! と思ってみるのだが、口が開かない。言いたくない。こんなに私自身が拒否するなんて思ってもみなかった。

なぜ? どうして? 私はそこまで恨んでいるのか? わからないまま、結局その日は言うことを断念したのだった。

 

それからしばらくして、アノ人が入院したという連絡が来た。私は複雑な気持ちだったが、とりあえず病院に向かうことにした。

病室では中にいる人たちとたわいもない会話をしたが、さして盛り上がることもなく、そろそろネタも尽きてきていた。すると、アノ人が「あなた、もうすぐお誕生日じゃなかった?」と言った。

そのときだ。私はまるで神の啓示でも受けたかのように、ここだ! 今だ! いま! と思った。

そしておそるおそる口を開いて言った。

「そう、もうすぐ誕生日よ。なんだかんだとこの歳になるまで生きて来れたわ。ありがたいことよねぇ。産んでくれてありがとう」

ああ、とうとう私は言った! あんなにカラダが拒否していたこの言葉。サラっとこんなところで口から出てくるなんて! 

 

「産んでくれてありがとう」

この言葉は、言えば母が喜ぶのだろうと思っていた。親孝行のために言わねばならない言葉なのだと思っていた。しかし、現実は違っていた。言った途端、私は自分がとてもいとおしく思えてきた。こんな場所で、お風呂で練習してもできなかったのに、ベストなタイミングでサラっと言ってしまうなんて! 私は自分を抱きしめて「あなたはよく言った! 頑張った! 素晴らしい!」とほめてあげたくなった。そしてこのあと、私は人知れず号泣した。それは、自分が達成したことの重みを思ってのことだった。

 

肝心の母は……というと、特にその言葉に感動した風でもなかったし、未だにこのことについて触れてきたこともない。もしかしたら、聞き逃していたのかもしれない。けれども、そんなことはどうでもいいのだ。私にとって重要なことは母が生きているうちにこの言葉を言うことだったのだ。私自身の卒業のために。

それは言ってみて初めて分かったことだ。相手のために少々無理してでも言わなくてはならないと思っていた言葉なのに、言ってみたらそれはすべて自分のためだったということに気がついた。

私はそれまで、結局すべてを自分の思い通りにしたかっただけなのだ。私の言うことを聞いてほしい! 私のことをかまってほしい! 私を認めて! お母さん、私はここにいるの! まるで駄々をこねる子どものように。

 

母が「いい母親」だったのかどうかはわからない。正直、母と娘の関係は良いものではなかったし、今でも母が私にしてきたことについて疑問を感じることもある。けれども、それはもう過去のことだ。今は私も「大人」になり、もう母の庇護のもとで暮らしているわけではない。母のことを嫌いだ! と思っていたのは、私がまだまだ子どもだったということなのだ。だからこの歳になっても、何かと理由をつけてああいうところが嫌い! こういうところが嫌い! などと思っていたのだ。

 

私が本当に嫌っていたのは「大人になりきれていない自分自身」だった。

母のことを嫌っていればいつまでも子ども気分でいたい自分を正当化し、子どもの自分と向き合うことから逃げることができたのだ。

私は「産んでくれてありがとう」を言ったあの日に、ようやく子どもを卒業したのだと思う。

あれから母を恨むような気持ちは徐々に消失していき、今ではほとんどなくなった。今はお風呂の中で「お母さん、ありがとう」だって言える。

 

母も人間だ。自分の思い通りにしたいこともあるだろう。八つ当たりしたい日もあっただろう。見栄を張ったり、自慢話をしたいときもあっただろう。

なのに私は、母に、親に、完璧を求めていたのだ。子どもである私をちゃんと守って! 優しく話を聞いて! ちゃんと褒めて! 私をいい子だと言って! 私をまるごと受けとめて! 親なんだからできるでしょう? やるのはあたりまえでしょう? と。

私は今になってようやく母を一人の人間として見ることができるようになってきた。彼女は彼女がベストだと思った方法で、彼女なりの愛し方で子どもを育ててきたのだ。それは私の意に沿うような方法ではなかったかもしれないけれど。

 

お母さん、産んでくれてありがとう。

私はやっと大人になりました。だから自分の人生に責任を持ちます。

私は私がベストだと思う方法で、私なりの愛し方で私の人生を歩んで行きます。それはもしかするとあなたの意に沿わない方法かもしれないけれど。

私はもうすぐコピーロボットに乗っ取られます

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私は怖がりです。テーマパークによくあるお化け屋敷になんて絶対入れないし、ジブリアニメのラピュタでさえ、何度も見ているのに毎回ドキドキして身体が緊張してしまいます。

できれば何事もなく、いつも平穏でほんわかと暮らしたいのです。

それこそジブリ作品で言えば「トトロ」の世界のように。

そのために私は何か事を始める時には準備をしっかりし、できる限りリスクヘッジをしておくことが大好きです。だから、想定外のことが起きてしまったらパニックになってしまうに違いありません。

 

そんな私に、先日コピーロボットがいることが発覚しました。

コピーロボット……知っている方も多いと思いますが、パーマンドラえもんに出てくるロボット。本人の分身となり「身代わり」となるロボットのことです。マンガではこのロボットのスイッチは「鼻」で、鼻を押すとコピーロボットが現れます。私はそもそも自分がコピーロボットを持っていることも知らなかったので、スイッチの押し方ももちろん知りませんでした。ところが、私にこのコピーロボットがいることがどうして発覚したかと言うと、スイッチの押し方がわかってしまったからです。

 

私は最近「講師」をすることになりました。その日は準備万端、リハーサルも念入りに行い、台本だって完璧でした。会場に入ると演台の上に台本やパソコンなどを用意し、あとは講座のスタートを待つのみ。そして講座がスタートしました! リハーサル通りに自己紹介を終え、さて本題に入ろうと演台の上の台本を見た瞬間、私は凍りつきました。台本が違う! 私は間違って違う台本を演台の上に用意してしまったのです。もうそれからが大変! 私はパニックに陥り、あわてふためき「わーすみません」と言って足元に置いてあったカバンの中を床にぶちまけて正しい台本を手に取り、あたふたと演台に戻ります。受講生は苦笑いでその一部始終を眺めていました……だと思っていたのですが、実際には、にこやかな顔をして「それではテキストの○ページをみてください」と講座を進めていたのです。けれどもその胸中はさぞかしパニックだろうと思いきや、むしろ「この状況をいかに楽しむか」ということを考えてニヤッとしていました。

ありえない! この段取り命の私が? あんなに怖がりなのに?

 

また別の日、質疑応答の場で講座の内容とはあまり関係のないことでネガティブな発言を繰り返す受講生に遭遇しました。もちろん私はそんな人がいる想定はしていません。周りの人たちも「講師」がどう対応するのか、注目しています。「あ、えーと、その件に関しましては……そうですね……色々な方がいらっしゃいますから……答えはひとつとは限らないといいますか……」私は想定外の出来事にしどろもどろになり、頭の中が取っ散らかって、もはや半泣き状態……(あーもう逃げ出したい!)……になるかと思いきや、またにこやかな顔をして「そういう考え方もありますよね」と冷静に対応しています。しかも相手のネガティブ発言をすべてポジティブ変換して投げ返す余裕を見せています。その胸中をのぞいてみると「そちらがそう来るなら、こちらも全力で投げ返しますよ!」とやる気さえ感じます。

え? あなたは誰ですか? 

 

どうやら私のコピーロボットは窮地に立たされたと思うとスイッチが入るようなのです。しかもこのロボットはその状況が好きで、その状況に燃えるようなのです。「あのスリルがたまらないよね。私は今試されてるなって思うもの。あのライブ感がいいのよ!」なんて言いだす始末。コピーロボットなのですから、私のコピー、つまり私と同じ平穏を求めるロボットでなくてはいけないはずです。それなのにスリルがたまらないだなんて。ライブ感を楽しむだなんて。もはや、コピーではなくなってきています。そんなこと、許されません。はやくロボットを止めなければ! ここで私は重大なことに気がついてしまいました。ロボットの起動スイッチは発見したけれど、ストップするスイッチがわからないのです。もう、ロボットは起動しているのに! ストップスイッチを探しながら、私は考えました。コピーロボットはそんなに悪者なのだろうか? むしろ私が窮地に立ったところへ助けにやってきてくれたのではないだろうか? そもそも起動スイッチを押したのは窮地に立って困った「私」だったのではないのか? そうか、コピーロボットは最初から「私」の中にいて、必要とされるときを待っていたのです。きっと。

 

新しいことを始めるには、たいてい今いる平穏なところから出ていかなくてはいけなくなります。しかし、その代わりに自分のキャパシティーを広げることができます。私はこわいこわいと言いながらも新しいことを始める覚悟をし、新たな場所へ飛び出したのです。その結果、新しいキャパシティー、つまりこのコピーロボットを起動させることができたのです。平穏な場所は楽です。けれども、新しいことには出会えません。今回私は新しいことを始めたことで「新しい自分」に出会いました。大人になって新しい自分に出会うなんて思ってもみませんでした。私は私であって、新しい自分なんてどこにもいないと思っていましたから。けれども、出会ったのです。最初は面食らったけれど、だんだんと新しい自分に魅かれていきます。いつもの「私」のようにおどおどすることなく、堂々と人前に立って、そんなに緊張するでもなく笑顔なんかも振りまいている新しい自分。我ながら素敵だなぁと思うほどです。そうなると、まだ私の中に眠る別のコピーロボットを起動させてみたい衝動がわきあがってきました! ストップスイッチを探していたはずなのに、いつの間にか別の起動スイッチを探そうとしています。もしかすると、これはコピーロボットの陰謀なのかもしれません。でも、もう私はこの衝動に抗えません。だってあのスリルを、ライブ感を知ってしまったから!

ああ、なんということでしょう! コピーロボットが不敵な笑みを浮かべてこちらを見ています。平穏な日々を求めていた私が、コピーロボットに乗っ取られてしまう日はもうすぐです。