私を捨てないで。覚えていて。

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私は最近、傘をなくした。

 

傘をどこかに置き忘れることはあっても、なくす、つまりどこに置いてきたのか、どこでなくしたのかわからなくなる、ということは今までなかったのに。ここ数年、年齢を重ねてきたせいか、人の名前や物の名前が覚えにくくなっている。「あれ、ほらあれだよ、ええと、なんだっけ」と言うことも増えた。そのせいでこんなことも起き始めたか、と思っていたのだけれど、考えてみると、別の見方もできるのではないかと思い始めた。

 

もしかしたら私は、物への執着が減ってきたのではないだろうか?

 

私は昔から片付けが苦手だった。物が多すぎたせいもあるのだと思うのだけど、そもそも物が捨てられない人だった。私が持つ物に関しては、ほとんど全部「どこで買ったのか」「誰からもらったのか」「これを買うとき、他の色とどちらを買うか悩んだのよね」などその物にまつわる物語を記憶している。自分がそうだから、世の中の人もみんなそうなのだと思っていた。

 

学生のとき、友人にCDを貸した。その当時自分で自作したきんちゃく袋に入れて。けれども、友人から返却されてきたとき、そのきんちゃく袋には入っておらず、CDだけになっていた。

「これ、きんちゃく袋に入れて渡したはずなんだけど……」

と私が言うと

「そうだっけ? そんなのなかったけどなぁ」

と軽く流された。なくしちゃったのかな、なら仕方がないか、と私もそれ以上は追及しなかった。

 

しかし、何か月後かに私は自分の目を疑うことになる。

その友人が、なんとそのきんちゃく袋を使っていたのだ。私は本当に信じられなかった。だが、その友人は悪びれる様子もなく、堂々と私の前でそのきんちゃく袋を使っている。市販品ならばまだわかる。同じものがどこにでも売っているのだから。だが、それは私が作った物なのだ。間違いようがない。これは何かの嫌がらせなのか? いじめなのか? などと考えてみたけれど、その後も友人が態度一つ変えずそのきんちゃく袋を使っているところをみると、本当にそのきんちゃく袋の出所を覚えていないようだった。

 

私もいじわるだなと思うのだけど、その袋は自分の物であると告げることはせず、友人にこう聞いてみた。

「今持ってるものってどこで買ったか覚えてる? 例えば、そのカバンとか、筆箱とか」

「そんなの、いちいち覚えているわけないでしょ。まさか、あんた全部覚えてるの?」

そのときの衝撃といったらなかった。そうなのか! みんなが覚えているわけではないんだ! と同時に、友人がきんちゃく袋を堂々と使っているわけも理解できたのだった。

 

 

ところで、うちの夫は今でこそ少なくなったが、物をなくす常習犯だ。ほんの15分程度しか乗らないのに、電車の切符をなくす。目的地の駅の改札前で、ポケットというポケットに手を入れて慌てて探すのはいつものことだ。傘も、もちろんすぐどこかに置いてくる。だからうちにはビニール傘がどんどん増えていった。

 

あるとき彼はお財布をなくした。あろうことか、そのお財布は私がプレゼントしたものだった。物をなくすことをいつも私に怒られていた彼は、さすがにこれは言えないと思ったらしく、同じお財布を自分で買って使っていた。だが数日後、私がうちに届いたはがきを見て、すべてが白日の下に晒されてしまう。そのはがきには「拾得物のお知らせ」とあり、警察から届いたものだった。拾得物の欄には「財布」と書いてある。あれ? おかしいな、と私は思う。昨日お財布を使っているのを見た覚えがある。どういうこと? という訳で、彼の偽装工作はあっけなく見破られてしまったのだった。

 

こんな夫と暮らしてみて、本当にだらしがない人だ! と怒ってばかりいたのだけれど、このところ見方が変わってきた。彼は、物に対して私ほど執着がないのかもしれない、と思うようになったのだ。彼はどうも物を所有するということに対して、私ほど興味がないようなのだ。物の捨て方をみても私とは全然違う。自分に今必要がなければどんどん捨ててしまう。まあこれは、私と違って物への記憶があまりないからなのかもしれないけれど。私は、その物を買ったときの気持ち、選んだ時の気持ちをありありと思い出してしまうから、なかなか物が捨てられなかったのだ。その時の自分の気持ちまで捨ててしまうような気になってしまっていたのかもしれない。

 

いや、もしかすると、私は物へ自分を重ねていたのかもしれない。私は「自分が」捨てられたくなかったのではないだろうか? 「自分が」忘れられたくなかったのではないだろうか? 思えば私は、親から、友人から、夫から……見捨てられはしないだろうかと、いつもどこかで怯えて生きてきたような気がする。表向きは強がって見せていても、どこかで「こんなことをして(言って)私は嫌われないだろうか? 見放されてしまわないだろうか?」と相手の顔色を窺っていたのだ。自分の自信のなさがこんなところにも表れていたのかもしれない。私の一部と化した「物」だから、捨てるには相当な心の痛みを伴う。自分で自分を捨てることになるのだから。それゆえ捨てるには相当なエネルギーが必要だったのだ。片づけをするのが苦痛だったのは、きっとこういう理由もあったのだ。そして、だいぶ片が付いてきた今、私は人の顔色を窺ってばかりの臆病な自分を、忘れられたくない自分を、だいぶ捨てられたのかもしれない。私の物への執着というのは、自分への執着だったのだろう。なくした「傘」は、そのことを教えてくれたのだ。

 

物を大事に使うことは重要だと思う。物をなくしてしまうことがとてもいいことだとも思わない。けれども、人間関係と同じように人それぞれ物との関係があって、それぞれが自分にちょうどいい距離感で暮らしているのかもしれない。ご無沙汰している物、いつも活躍している物、あんなに仲良くしていたのに、忘れ去られてしまった物。関係性は常に変化してゆく。やはり、人間関係と同じように。

 

私は今日、新たな気持ちで新しい傘を買いに行く。次はどんな関係になるのか楽しみだ。

私は夫を無視することにした

 

 

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私はしばしば夫を無視する。

これは夫、いや私たち夫婦のためなのだ。

 

自分で言うのもなんだけれど、私は「察する能力」がある方だと思う。あの人は次にこういう行動をするだろう、あの人は次にコレを欲しがるに違いない、と察する能力。この能力は仕事ではとても重宝されるし、評価だってもらえる。こんな能力をもった私ってすごいでしょ? と、どこかで優越感を持っていた。だから、この能力を色々な場面で使ってきたし、喜ばれると素直にうれしかった。

 

けれども、この能力をあまり使ってはいけない場所がある。それは家庭だ。

 

調子に乗りやすい私は、夫に対しても「察し力」を存分に使っていた。水が飲みたそうだな、と感じたら「はい、お水」と先回りして夫に差し出した。と言っても、私には透視能力がある訳ではないから、水を差し出しても「今いらない」と言われることも多々あった。その度に私は、読み間違えた! もっと的中率を上げなければ! と自分に鞭をうち、次のリベンジに向けて燃えていた。

 

ある日、夫が不機嫌な様子で帰ってきた。さっそく様子を察知した私は頭の中で分析を始め、せっかくこれから楽しくご飯を食べるのだから、明るい雰囲気にしなければいけない、という結論を出した。ちょうどテレビではおどけたCMが流れていた。これだ! と思った私は、同じようにそのCMのまねをして夫を笑わせようとした。すると彼は、私がつかんでいた夫の腕を大きく振り払い「さわるな!」と大声で怒鳴った。

 

ああ、やってしまった……また察し方を間違えてしまった。

冷静に考えてみれば、イライラしている人に向かっておどけて見せるのは、ある意味火に油を注ぐようなものなのかもしれない。しかし、察し方を間違えて打ちひしがれる私は、この後どうするべきなのか、また必死に「察しよう」としていた。

 

そのとき、ふと浮かんだのは

 

「そもそも私は察する必要があるのだろうか?」

 

という問いだった。必要があるという回答に持って行きたい自分と、本当にそうなのか? と訊ねてくる自分に挟まれてしまう。必要はない! と言ってしまうと、今までの察し力で優越感を得ていた自分が崩壊してしまう。私のやってきたことはとても良いことだったはず。私は間違ってなんていないはず……だと思いたい。けれども、何だか感じるこの違和感はなんなのだろうか。この関係がそんなにいいものだとも思えない。

 

私はなるべく冷静に、今起こっていることを考えてみようとした。

 

今起こっていることは、負のスパイラルだ。

私が「察し」て先回りすることで、夫は自分のことを自分の言葉で表現する機会を失ってしまっていたのだ。私がその機会を奪っていたとも言える。この状態に慣れてゆくと、夫は何も言わなくても察してもらえることが当然となり、どんどんモノを言わなくなる。私の的中率も多少は上がってゆくから、ますます夫は「察し」てもらえることが当たり前になっていってしまう。

そんな環境が当たり前になってゆくと、私の察しが外れて夫の思う通りにならなくなると、イライラし始めるのは当然だろう。そうじゃない! もっと察しろ! と思うのも無理はない。私は私で、察しが外れると自分の能力もまだまだなのだと自分を責め、もっと的中率をあげることに全力を注ぐ。

しかし、私はそのことにほとほと疲れ果ててしまったのだ。

 

こうなってくると「私、察し力はいいのよね」などと得意気になっていた自分が恥ずかしい。それだけではなく「あなたが自分を表現する機会を奪ってしまってごめんなさい」と夫に対して申し訳なく思うようになった。

結局のところ、私たちはお互いに依存しあっていたのだ。「察する方」と「察される方」として。

 

察する……なんて言っているが、要は「人の顔色をうかがう」ということだ。そこには自分の意思がない。あなたが思うように私は動きます。いち早くあなたの望みを叶えます。ということなのだ。大げさに言えば、私は自ら夫の使用人に立候補していたことになる。

けれども、私はそんなことがしたかったわけじゃない。夫だってそうしたかったわけではないだろう。私たちは関係性を見直さなければならないのだと思った。私たちはお互いにもっと自立しなければならないのだ。そこで、私は夫を無視することにした。

 

「私はあなたのことを察するのをやめます」

 

と、夫に告げたとき、夫は戸惑った様子だったけれど、そのうち状況を理解したようだった。

無視といっても一切会話をしないなどという訳ではなく、文字通り夫の「察して欲しい」を無視することにしたのだ。本当は私が気づかなくなれれば一番いいのだけれど、察し能力はそうは簡単になくならない。だから無視。無視という言葉が悪ければ「待つ」でもいいかもしれない。そうなのだ、実のところ私はせっかちだから待つことが苦手なのだ。

たとえ夫が水を飲みたそうにしていても、本人がきちんと言葉に出さない限り、私は気づかないふりをする。夫は自分の事を自分で語る必要があるのだから。

 

そういうわけで、現在我が家では、私は「待つ」という練習を、夫は「自分の言葉で語る」という練習を、目下のところ継続中なのである。

人生に彩りが少ないのなら、クローゼットの中を見て欲しい

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電車の中で私の目の前に座るステキな女子。ものすごく美人というわけでもないのに、なぜかキラキラして見える。私は吊革につかまる手に力を入れ、彼女を観察してみた。

うん、やっぱり顔って訳じゃない。彼女は確かにかわいい、けれどそこじゃない。髪型? お化粧? ヘアースタイル? 洋服? あっ! わかった。色だ、色。着ている洋服の色が明るくて、彼女にとても似合っているからだ。そうか! こういうことなんだな。

私は最近コスプレを始めた。
と言っても、アニメの……とかそういうものではなく、見た目は普通だから誰にもわからないだろう。

パーソナルカラー診断というものをご存じだろうか? 人それぞれに似合う色は違うので、何色が似合うのか、沢山の色を胸元に次々に置いて診断してゆくのだ。髪の色や瞳の色、肌の色も人によって違うので、似合う色も変わってくるのだ。その結果、私はピンクや赤、薄い紫、紺色などが似合うということだった。
紺色や薄い紫はまだしも、ピンク? そんな選択肢は私の中になかった。ええっ? ピンクですか? 無理っ! 私のピンクのイメージは「ザ・女子」なのだ。私も一応戸籍上「女」ではあるが、中身は限りなく「男」だし。
昔から女子の群れが苦手だった。みんなでトイレに一緒に行く意味もわからなかったし、みんなで何か……というあの感じ。どうにもなじめなかった。そんな私がピンク?! いまや死語かもしれないが、ピンクと言えば「ぶりっ子」だ。そう、ぶりっ子のイメージ。いつからピンクにこんなイメージを持ったのかわからないが、とにかく私は全力でピンクを遠ざけていたのだ。けれども、そのピンクが似合うという。にわかには信じられないが、そう言うならば、一度やってみようではないか! ピンクよ、かかってこんかい!

そう言うわけで、私は似合うと言われたピンクの服を増やした。増やしたからには着なくてはいけない。袖を通してみると、ムズムズしてくる。体が若干の拒否反応を示しているようだ。借り物の衣装を着ている気分。落ち着かないし、まるで他人になったみたいだ。そう、だからコスプレ。自分ではない誰か、そして、その衣装。ピンクは誰にも気づかれることのないコスプレ衣装だった。

「その洋服似合うね」
「え? あ、ありがとう」

「その色似合うよねぇ」
「本当に?」

陰謀だ、陰謀。私にピンクが似合うはずなんてないのに。誰? 誰が私を陥れようとしているの?
私は受け入れることができずに、そんな風に抵抗していた。しかし、本当に会う人がみんな、服が、その色が、似合うと言ってくれるのだ。途中までは必死に抗っていたが、徐々に洗脳されてゆく私。どうやら、本当に私にはピンクが似合うらしい。と言うことは、私は「ぶりっ子」なのか? いや、違う! そもそも、その前提が間違っているのだ。そろそろ、私の中のピンクのイメージを書き換える時が来たようだ。

改めて自分のクローゼットを見てみた。白、紺、黒。ほぼモノトーンの世界だ。ほとんど色のない世界。
ああ、私は長らくこんな世界に住んでいたのだ。そりゃあ、人生に彩りも少なかろう。妙に納得してしまう。守りの人生。自分のテリトリーから出るのが怖かったのだ。必死で自分の狭い世界を守ってきたのだ。何から? 誰が、何が、攻めてくると言うのだろう。私は何をそんなに守りたかったのだろうか?
思えば、物心ついたときからピンクを着た記憶なんてない。制服はモノトーンの世界の服だし、私服にもピンクなんてなかった。もしかしたらあったのかもしれないが、記憶にない。けれど、気づけばモノトーンの世界の住人だった。

それは、きっと自分を隠しておきたかったのだ。自分を出して、少しでも否定されようものなら、もう立ち直れない。傷つきたくないから、事前に予防線を張っておく。目立たずに、ひっそりと。それが、私のモノトーンの服の正体だったのではないかと思う。

そこにやってきた、ピンク! 初めこそ慣れなかったが、慣れてくると何だか気持ちも明るくなるような、体温まであがるような、そんな気になる。
私はここにいる! と少し言えるような、そんな気持ち。ああ、もう自分を隠しておく必要なんてないのだ。誰も、何も、攻めてなど来ない。
ピンクを着るようになって、私は少し自分に自信がついたようだ。

目の前の素敵な女子がキラキラしているのは、明るい色の洋服のせいだった。いや、彼女が醸し出す雰囲気のせいかもしれない。どちらが先なのかわからないが、ともかく、彼女はモノトーン時代の私のように自分を隠そうとはしていない。だから美しいのだ。

人生に彩りが少ないと思うなら、クローゼットを見て欲しい。
もし、クローゼットがモノトーンの世界だったら、自分に似合う明るい色を足してみることをおすすめしたい。

それで、いいのだ! それが、いいのだ!

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私にはギャップがある。

 

正直言って学生時代、そこそこモテた時期がある。だけど、なかなか相思相愛にはならなかった。なぜかというと、この「ギャップ」のせいだ。

 

私は表向き、おとなしくて従順な人に見えるらしい。だから、そういう人が好みであろう人がやってくるのだ。例えば体育会系の人。見た目もガッチリ、俺が守ってやるぞ! という空気感ムンムンでやってくる。

私は……と言えば、とても申し訳ない気持ちでお断りすることになるのだ。あなたには、もっと従順で素敵な女性が似合うと思います。私ときたら、我が強くて毒舌で、ひとつも言うことなんか聞きやしません。あなたの後ろからついてゆく、なんてことはできないんです。むしろ、あなたより先に歩いて「私についてきて!」と言いかねないんです。そんな風に思えないかもしれませんけれど。

 

こんなことを言ったら何様だ! と言われるかもしれないけれど、誤解を恐れずに言えば、この当時「もう、断るのも面倒くさいから誰も私に告白なんてしないでください」と思っていた時期があった。好きになってもらえるのは本当にありがたい。それはそう思うのだけれど、それをひとつひとつ断っていくときの申し訳なさや罪悪感の重さに耐えられないと感じていたのだ。それならばいっそのこと、見た目も中身も一致するようにすればいいんじゃないかと思って、自分なりに色々試してみたこともある。けれど、効果は芳しくなかった。

 

今思えば、そうは言いながらも自分に自信がなかったことが原因していたかもしれない。人見知りで、心を開いた人にしか「素」を見せられなかった。だから、結局のところ自信がなく、弱々しいイメージだったのだろう。ギャップがあるといいながら、そうしていたのは自分だったのだ。

 

あの頃は、周りにいる人ほとんどが「敵」に見えた。私が負けず嫌いなことも原因のひとつだと思うのだが、心から信用できる人なんてほとんどいないと思っていた。この頃の信用できる人というのは、自分と全く同じ思考をする人のことだったのだろうと思う。そりゃあそんな人、いるわけがないのだ。みんなすぐに裏切るとも思っていたが、裏切るというのは「自分の期待に沿ってくれない」ということなのだから、みんなすぐに裏切ったわけだ。自分はギャップがあるくせに、人にはギャップを許していなかった。

 

ところで、ギャップってなんなのだろう。

見た目と中身が違うことだと思っていたけれど、違うと思っているのはあくまでも自分の思い込みなのだ。見た目で「この人はこういう人に違いない」と勝手に判断しているだけ。もちろんそれは個人の自由なので、どう思ってもいいのだけれど、問題はその思い込みが違っていたときに「そんな人じゃないと思ってた、がっかり」と思ったり、言われることなのだ。

 

私が学生の時、お断りする重さに耐えられないと感じたのは、相手のその思い込みに対してまでも私が背負おうとしていたからなのではないだろうか? 従順だと思われているのならば、期待に応えて従順っぽくした方がいいと思うけれど、それはできないんです、と。そしてさらに、私も勝手にこの人は従順っぽい人が好きなはずだ! という思い込みを持っていた。本当のところはどうだったのか、今となってはわからない。

 

そもそも人間なんて、ギャップがあって当たり前なのではないか?

会社に行けばそこでの役割を演じ、恋人の前ではまた別の自分を演じる。もっと言えば、相手によって変幻自在に自分を変えているのかもしれない。これが本当の自分だ、なんて言える自分は果たしているのだろうか?

 

であれば、もっと積極的にギャップを楽しめばいいのではないだろうか。

Aさんと会っているときの自分はこんな感じ。Bさんと会っているときは何だか優しい私がいる、なんていう風に。どれが良くてどれが悪いだなんてことはないのだ。そこにそんな自分がいる……という、ただそれだけのことなのだ。

 

新しい出会いが楽しいのは、もしかしたら新しい自分に出会えるということも大きいのかもしれない。そう考えると、人見知りというのは、もしかすると新しい自分を見るのが怖いということなのかもしれない。自分が想定する自分以外の新しい自分が出てきたらどうしよう、どう対応してよいのかわからない。そんな自分、前例がないから傾向と対策が立てられない、と思っているのかもしれない。

少なくとも、私はそういう側面があったように思う。自分の知らない自分。そんなものが現れて、みんなに嫌われたらどうしよう。あの人、おかしな人だと思われたらどうしよう……という恐れがあった。

 

もうこれからは、どんどん新しい自分を発見していきたいと思う。どのみちどれも全部「私」なのだ。そして、この自分は何だか嫌だなぁと思ったのならやめてみればいいのだ。なんと言っても「変幻自在」なのだから! こうなったら、どんどん発見して、選択肢を増やしてみたい。毎日の洋服を選ぶように「今日の私」が選べるくらいに。

 

私にはギャップがある。

それで、いいのだ! それが、いいのだ!

彼女は困った話がしたいのだけど

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チカちゃんは、電柱につながっていない家に住んでいる。

 

だから2年前に家を新築した後、メーター検針の人がやって来た時には、家の周りをぐるぐる回って一生懸命メーターを探していたそうだ。しかし、探せども探せどもメーターは見つからない。そこで、検針の人はインターフォンを押して尋ねたそうだ。「お宅のメータ―はどこにありますか?」と。検針の人にしてみれば、そもそもメーターがついていない家なんてあるわけがないと思っていたのであろう。チカちゃんはチカちゃんで、この時、ウチの周りを不審者がウロウロしていると思っていたそうだ。

しかし、電柱につながっていないということは、メーターだってあるわけがない。チカちゃんは事情を説明して、検針の人に帰ってもらった。だが後日、今度は電力会社の人が黒塗りの車で現れて、またその人に「事情を説明してもらえますか?」と言われたそうだ。山奥ならばまだしも、普通の住宅地にそんな家があるということが理解できなかったのだろう。

 

確かに、私を含めてほとんどの人は、家は電柱につながれているもの。そして、そこから電気を買って使う。ということが当たり前になっていて、そこに疑問を感じることは少ないのではないかと思う。言っておくが、チカちゃんも何年か前まではそういう人だった。けれども、震災をきっかけに「電気」というものについて考えるようになった。もちろん、私だって考えなかったわけではない。けれども、便利な都会生活を享受してしまっている私にとって、今更、川で洗濯したりローソクの明かりで夜を過ごすなんて、そんな時代を遡ることは、なかなか決意できなかったのだ。私ができたことは、せいぜい夏にエアコンを使わないことくらいだった。

 

とはいえ、彼女も最初から新しい家は電柱につながないと決めていたわけではなかった。屋根に太陽光パネルを設置することは決めていたが、雨や曇りなどで電力が足りなくなったら、パチンと電力供給の切り替えボタンを押して、その時だけ電力会社から電力を買おうと考えていた。だが、いざ家を建て始めると、敷地内に電柱を立てなければいけないことがわかった。彼女はそこで悩む。自分の敷地内に電柱を立てることは納得できない。電柱を立てるくらいならば、好きな樹を植えたい! と思った。そこで、悩んだ末に電柱とはさよならして電気を自給自足してゆく生活を選択した。もし、電力が足りなくなったらローソクが必要だろうと、彼女は大量にローソクを買い込んでその日に備えたのだった。

 

そして、彼女のその家は、先日2周年を迎えた。ローソクは最初に買い込んだ数のまま、今でも一度も使ったことがないそうだ。

こういう家に住んでいるので、彼女のもとには時折、取材や講演依頼が来る。それで彼女は取材を受けたり、講演したりしているのだが、ひとつ困ったことがあるという。それは、こういう家に住んでいるからには、ローソク生活のような、とても困った話を期待されることが多く、質問もそちらの話がよく出るということなのだ。けれども、困ったことがないので、どうにも答えられない。もちろん、彼女の家では何も考えずに電力を消費しているわけではなく、普段はできるだけ無駄な電力は使わないようにしている。しかし、彼女の家には、洗濯機や乾燥機、冷蔵庫、掃除機にエアコンだってある。そして、スマホやパソコンだって使っている。私が想像していたような、川で洗濯……なんて時代を遡るような生活はしていないのだ。

晴れた日には、屋根の太陽光パネルがどんどん電気を作ってくれる。余るくらいだし、そんなに溜めてもおけないので、そういう日は電気を大量に消費する電気器具を存分に使って料理をしたり、洗濯をしたりしている。彼女はそういう日を「電気富豪の日」と呼んでいる。だって空からじゃんじゃん電気が降ってくるから、という理由だ。

 

私が最初に彼女に会ったとき、彼女の印象は「とても真面目な人」だった。あまりに真面目だったから、もしかしたらこの人はその真面目さゆえに生きるのがつらいことがあるかもしれない、と思ったほどだ。しかし、真面目だからこそ、電柱より樹を植えたいと思い、思い切って電柱とさよならできたのではないかなとも思う。この家に住んでからの彼女は、会う度にキラキラしている。そのキラキラした眼差しで「電気富豪」の話をしてくれたりする。今や、生きるのがつらいどころか、楽しくて仕方がないという印象を受ける。私も電柱とさよならしてみたい、とさえ思うほどに。

 

先日は、冷蔵庫ももういらないかもしれない、というようなことを言っていた。私だったら明日、急に「あなたはもう冷蔵庫が使えません」と言われたら、受け入れられないと思うけれど、彼女のように少しずつ自然にかえってゆくような生活をしていたら、それも受け入れられるようになるのかもしれないと思わせられる。あって当然、なくなったら怖い。と思っていた電気だけれど、彼女を見ていると、それはただの思い込みだなと痛感する。

 

困った話がない彼女だけれど、先日は雨続きでちょっと困ったという。掃除機をやめてホウキとちりとりで掃除をしたという話だった。ようやく話のネタができたのね! と思っていたのだけれど、そのホウキとちりとりにはこだわりがあり、職人さんがひとつひとつ手作りしたような品で、むしろ使い勝手がよく、掃除機より使いたくなるというではないか! それは、どこまでも期待を裏切っているよ、チカちゃん! 

こんな風に、彼女はこの先困ったことがあっても、きっと楽しいことに変えてしまう。

だから彼女は、この先もずっと、困った話はできないままだ。

片付けられないのは私のせいじゃない! ヌシのせいだったんです。

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「そういう部屋には、たいていヌシがいるんですよ」

 

これを聞いたとき、私はまだどこか他人事だと思っていた。

 

私は小学生の頃から手芸が好きだった。フエルトや刺繍糸などの材料と、作り方の本を交互に見ながら、これから何を作ろうかと思案するのがとても楽しかったことを覚えている。自分の手で作品が出来上がってゆくことの面白さを覚えた私は、フエルトの小さな人形からスタートして、カバンまで手縫いで作っていた。

 

そんな私の得意科目は、もちろん「家庭科」

小学校高学年にもなると、ミシンが導入される。ここで、この科目の好き嫌いがキッパリと分かれてきたように思う。糸のからまり、縫いなおしの時のミシン糸を切る面倒さ、ミシンの取扱いの好き嫌い、ミシンの面倒臭さをあげればきりがない。

 

しかし、私はこの文明の利器に目をキラキラさせていた。

なにせ、それまではすべて手縫い。時間も労力もかかる。それなのに、この文明の利器は、いとも簡単にそれらを超越してしまう。あっという間に、簡単に作品を仕上げてしまう、魔法の機械だったのだ。

だから、家庭科の授業は楽しくて仕方がなく、あっという間に課題を仕上げて「他にやることはないですか?」と先生に尋ねるほどだった。

 

こんなに楽しいモノを知ってしまったら、自分用のモノが欲しくなるのは時間の問題だった。けれど、学生の私にとって、それは安い代物ではない。しかし、母に言ってみると、笑顔で「ああ、それならいいものがあるわよ」と言って実家に電話をし始めた。

 

かくして、そのミシンは私の元にやってきた。それは、時代遅れの、とてつもなく重くて古いミシンだった。

足踏みミシンでこそないものの、その後にようやくできた、その当時最新型のミシンといった風情で、縫い方は、直線縫いとジグザグ縫いのみ。きっとそれでもその当時は、ジグザグ縫いができるということで、一世を風靡していたのではないか? と思わせる堂々とした出で立ちだった。

 

私の、そのミシンに対する見立てはある意味正しかったようで、このミシンは、祖母が、娘である母が結婚する前に嫁入り道具としてローンを組んでまで購入した、その当時最新鋭のミシンだった。

しかし、家庭科の授業で使ったようなミシンを想像していた私には、残念な代物でしかなかった。

こんな、時代遅れのミシンなんて欲しくない!

だが、別なミシンを買ってもらえるわけもなく、私はそのミシンと少しずつ仲良くなっていった。

 

都会で一人暮らしをするようになってからも、私はミシンと楽しく暮らしていた。

一時期、本気で帽子作家になろうと思い、朝から晩まで帽子を作り続けていたこともあるくらいだ。

 

そして私は、いつしかこのミシンが好きになっていた。母は裁縫が嫌いだったから、祖母が母に託した思いは届かなかったかもしれない。が、孫の私が使っているから、隔世して届いたということになるのではないだろうか、なんて考えたりもしていた。

そして、この重くて古い重厚感も、昭和な感じも、今は「レトロ」という言葉に包めばおしゃれに変わる。それに、まだまだ使える現役感も十分にあった。

 

そして時代は「片づけ全盛時代」

 

ご多分にもれず、私も片づけが苦手な一人であった。

何より困っていたのは布類。気づけば、ウチには大量の布が段ボールに詰められて、いくつも保管してあった。しかし、布は「何かつくろう!」と思い立ったとき、家にあればすぐに作れるし、腐るものでもない。全部、素材や柄など吟味して買っているから思い入れもある。もちろん、お金もかけた。だから、そう簡単に捨てられるものでもない。けれど、場所も取る。という矛盾した存在になっていた。

 

あるとき、片づけの専門家に話を聞いてもらうことになり、その時に言われたのがあの言葉だった。

 

「片づけができないという人の部屋には、たいていヌシがいるんですよ」

 

片づけに抵抗する、抵抗勢力のドン。ゲームで言えば「ラスボス」のような存在がいると言う。

まぁ、そういう人もいるでしょうけどね。ウチには、思い当たりませんよ。と思っていた。そして私は、布が、いかに捨てにくいかという話をひとしきりした。するとその人は

 

「そのミシンがヌシかもしれませんよ」

 

と言った。

 

え? いやいや、そんなことはないです。大事にしてますし。ある意味、祖母の形見ですし。

だが、その人の言うことがジワジワと私に染み込んでくる。

 

「想いが詰まっているんですよね? おばあさんの、そしてお母さんの罪悪感も。そして、重い」

 

ああ、その通りだ。

祖母は裁縫が得意な人だった。けれど、自分の時代にはミシンなんてものはなかった。きっと自分が欲しかったものを、娘に託したのだ。しかし、大枚はたいたものの、ミシンが日の目を見るときは訪れず、ようやく孫がその想いを遂げてくれた。そして、母は、私がこれを使うことで、どんなにか罪悪感から身軽になったことだろう。

 

「そもそも、あなたが裁縫をやるようになったのは、お母さんへの抵抗なのではないですか?」

「……」

 

そんなこと、考えたこともなかった。しかし、言われてみれば思い当たるフシはある。私が何か作る度に「すごいわねぇ、そんなのお母さんは作れないわ」と言われ、その度に鼻高々だった。無意識に「お母さんに勝った!」と思っていたかもしれない。「お母さんにはできないでしょう? でも、私にはできるの! だから私をもっと認めて!」そんな風に思っていなかったと言えば嘘になる。あの幼い頃からの作品作りは、母へのアピールだったというのか? そんな……。体の力が抜けるのを感じる。

 

「もう、十分なのではないですか? そのミシンへの様々な思いはもう遂げられたのではないですか?」

 

つい数分前まで、ミシンがヌシな訳がない! 大事だもの! 私は捨てない! と強固に思っていたことが嘘のように、私の思いはグラグラと揺れ始めていた。

 

その日、まず家に帰って家にある布をすべてゴミに出した。そして、ミシンさえも、数日後、粗大ごみとしてさよならした。片づけできなかったモノに、文字通り、片をつけたのだ。

すると、部屋もそうだが、私の心は驚くほど晴れやかになり、私の片づけは、その日から俄然スピードアップしたのだった。

 

今思えば、あのヌシは「抵抗の産物」だったのかもしれない。

もしかすると母は祖母への抵抗で裁縫が嫌いだったのかもしれない。そして、私は母への抵抗で裁縫を始める……。三世代に渡る抵抗が産みだしたヌシ。

 

あの重さは、それぞれの「想い」から来ていたのかもしれない。

私を監視していたのは彼女だった

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私は常に見張られている。

それを考えると憂鬱になり、気が滅入る。逃げても逃げても追いかけられ、決して逃れることはできないのだ。

 

ある休日、私は朝からだらだらと何もせず、ゴロゴロして過ごしていた。

 

「それでいいの? いいわけないよね? 大切な1日をそんな無為に過ごして! もったいない」

 

それは監視員からの警告だった。見られている! けれど、言っていることは確かに正しい。大切な1日、大切な時間。こうやってだらだら過ごしているだけで、どんどん過ぎていってしまう。勉強……とまではいかなくても、洗濯くらいはしておかないと。重い体を動かし、私は洗濯を始めた。

 

「そう、それでいい。それで? 洗濯機を回している間は? その時間も無駄にしたらもったいない」

 

そうですよね。おっしゃる通りです。その時間は台所の掃除をしよう。こうして私は、有意義であろう1日を送る。

また別な日。今日は仕事がうまくいった。相手も満足してくれていたようだったし。何だか嬉しい。自分にご褒美でも買おうかしら。

 

「あれくらいで満足とか目標低すぎでしょう? これくらいはできて当たり前。今までが酷すぎただけ。もっともっと上には上がいる。そこを目指さなくてどうするの?」

 

ああ、また……。そうです、おっしゃる通りです。あなたがいつも言うことは本当に「正しい」です。そうですよね、こんな出来損ないの私ごときが満足しているといっても、それはとてもレベルの低い話ですよね。失礼致しました。

監視員は仕事を怠らない。本当に真面目で厳しい。いつ寝ているのか? というくらい私を見張っている。

 

だが、私は次第に疲れていった。監視員の要求はどんどんエスカレートしてゆくし、私もそれに応えようと必死だったから。

 

ある時友人に「あなたは自分にとても厳しい人だ」と言われた。それは、私にとっては意外な一言だった。なぜなら、いつも監視員にダメ出しをされ続け、私も自分のことを怠惰でダメな人だと思っていたから。私って厳しいの? こんなに怠惰なのに? ほっておくとすぐ休んだり、さぼったりするのよ。知らないからじゃない? けれど、その後も別な人から「自分に厳しい」ということを言われた。そうなの? 厳しいの? それについて考えていくと、やはり監視員に行きつく。監視員に言われてきたから、私もずっとそうなのだと思っていた。けれど、どうやら私はそんなに怠惰と言う訳でもないらしい、ということがおぼろげながら見えてきたのだ。

 

監視員はいつ頃から私を見張るようになったのだろうか? 監視員の言うことをよく聞いてみると、なんだか母が言っているように思えるときがある。ああ、もしかしたら監視員は私が脳内で作りだした「母のような人」なのではないか? 私が作りだしたのならば、変更することだって可能なのではないのか? 私は監視員を「監視」することにした。すると監視員の言うことにも「穴」が見えるようになり、次第にただ言いなりになるのではなく、自分の意見も返すようになっていった。

 

今までならば、達成できるかどうかわからないような「高い目標」を掲げ、それに向かってただひたすら走っていたところを、達成できるような「低めの目標」にし、それが達成できたら喜ぶ、自分を褒める。そしてまだやりたいのであれば、新たな「目標」を立てるというように変わっていった。

とにかく、今まではハードルがとてつもなく高かった。そこに行きつくまでに息切れしてしまっていた。頑張っても頑張っても、なかなかゴールにはたどり着けない。たどり着けないのは自分の努力が足りないから、そして能力が低いから。そう思っていたし、監視員にもそう言われて……いや、つまりは自分でそう思い込んで、そう自分に言っていただけだったのだ。

監視員は「過去」にしか生きていない。つまり「今まで」の経験上こうなる、それだと失敗するといったことを、私に言ってきているだけだったのだ。

 

「あなたの言うことには「未来」がない」

 

と監視員に言ってみた。監視員は一瞬ぎょっとした顔をしたが「未来は今の積み重ねだから過去に学んで……」というような苦しい言い訳をしていた。そうなのだ。未来は誰にもわからない。もちろん、過去も、現在も大切だ。怠惰に過ごしていいということではない。けれども、自分は今どうしたいのか? と言うことが一番大切なのではないか。と思うようになってきた。だらだらしたいのなら、してもいい。だって未来の責任は自分で負うのだから。

 

私が監視員を作りだしたのは、自分の軸がなくてもよく、何でも監視員のせいにして「私」が言い訳をしたかったからなのだ。監視員からは逃げられないと思っていたが、逃げていたのは私の方だった。自分の責任を自分で負いたくなく、誰か変わってくれる人を作りだしていたのだ。

 

このことに気がついてから、私は疲れなくなった。ゴールのない目標に向かって走らなくてもよく、ダメだしばかりされなくてもよくなったから。

監視員は未だに私の中にいるが、主導権は私にあるのだ。だから監視員の言葉は参考にはしても、必ず従うということはない。自分の目標の高さはいつでも上げ下げ自由なのだ。

 

こうして、監視員の言うことを聞いていなければ、私はどこまでも堕落してダメ人間になってしまう……という思い込みは、本当に思い込みであることが証明された。自分で自分に責任を負うことはとても怖いことのように思っていたが、これも違う。自分で自分に責任を負った方が、実は楽だし楽しいのだ。

 

「でも、私がいないとやっぱりあなたはダメ人間なんじゃないの?」

 

と監視員は言ってくる。だが、私は冷静にこう返答する。

 

「ダメ人間もあなたも、全部ひっくるめて「私」なのよ」